勇者とは

 ドラクエの主人公とは何者か。シリーズ通じて例外なく、主人公は世界を脅かす存在に立ち向かう者たちだが、換言すると、なぜ、他の誰でもなく彼らこそがその役割を担うのだろうか。
 『I』においては、その理由は単純明快だ。これは別稿にも論じるつもりだが、特にドラクエ Iにおいては、RPGという形式を全く知らない初心者への配慮が十分にされており、主人公=プレイヤーという図式を徹底するために敢えて主人公には最低限の出自しか与えられていない。「伝説の勇者ロトの子孫」というのがそれである。もっとも背景となるロト伝説については『III』で存分に語られているというのがこのシリーズの凄いところなのだが。
 では、ロトはなぜ“勇者”なのか。「勇者ロト」という呼び名自体が、魔王を倒した際に受けた称号だが、『III』においてそれ以前から彼は“勇者”と呼ばれていた。もといた世界では、主人公は勇者オルテガの息子として、父の遺志を継ぐことを志す。ではオルテガはなぜ勇者なのかというと、文字通り「勇猛を以て鳴る」からで、特にその出自に由来するわけではない。小説ではオルテガはもとアリアハンの将軍だったことになっているが、妥当な解釈だと思われる。
 補足するならば、かつて世界の宗主国だったアリアハンには伝統国意識のようなものがあり、世界を救う勇者はぜひ我が国から、というような風潮が強かったのではなかろうか。平和を維持するのは、統治するものの義務でもある。伝統というのはあるもので、ロマリアでも「やがてアリアハンの勇者がやってきて魔王を退治してくれるそうですよ」と噂されている。優れた人物が自国出身というのは、国民にとっても誇りとなる。同じく大国であるサマンオサが勇者サイモンを輩出しているのも、アリアハンへ対抗する意識があるのだと考えてみると面白い。各国が傑出した人物をたて、いわばオリンピックで金メダルを争うような感覚だろうか。ロマリアも伝統ある大国のはずだが「我が国から勇者を」という気概がないのは、国王が少々頼りないせいかもしれない。閑話休題。
 つまり、こういう言い方をしては何だが、『III』における“勇者”はそれほど特別な存在ではない。もっと身も蓋もないことを言えば、“勇者”である主人公が「転職」できないことが示すとおり、勇者というのは「剣・魔法をバランスよく使う優れた戦士」といった職業の一つに過ぎないのである。(ただし、唯一、勇者の神性を示すと考えられる設定として、勇者のみが使えるという魔法、ライデイン・ギガデインがある。どちらも雷を操る魔法である。言うまでもなく雷は「天の怒り」の神話的イメージであり、勇者が(勇者のみが)神の力を借りて戦うことの象徴と取れなくもない)
 アレフガルドにおいても同様で、ラダトーム城の客室係は、「かつてはここにも多くの勇者さまがお泊まりでした。」と言う。おそらくは世界に光を取り戻そうと志す者が等しく“勇者”と呼ばれていることがわかる。その中で、魔王ゾーマを倒した主人公が「勇者ロト」という称号を得た。アレフガルドから見れば外の世界から来たという出自が特別なものだったのも確かで、それが伝承の中で神格化されていったのだろう。
 閑話:久美沙織『精霊ルビス伝説』はドラクエ世界の創世神話にあたる物語だが、これによると、初代のロトは半神半人の英雄で、ルビスの夫である。精霊たちの住む世界・イデーンが崩壊し現在の世界が成立した際に、邪悪な黒竜を追討して火山に身を投じたルビスは新たな世界の地母神となり、そしてロトは人間として転生を繰り返し、竜と戦う使命を果たす。勇者と呼ばれる者たちはみな彼の末裔であり、また転生であるのだという。むろんこれは一つの解釈である。IIIにおいては、ルビスとロトの因縁はゾーマに囚われたルビスを勇者が救出したことに始まり、後々までルビスがロトの子孫を助けるのはこの時の契約に基づくのだと考える方が自然だともいえる。しかし、「勇者ロト」という称号がやや唐突に登場することを考えると、その背景にこのような神話が存在すると考えてみるのも面白いだろう。神話の英雄の再来、という象徴的な称号が「ロト」であったのかもしれない。閑話休題。

 『II』では、竜王を倒して再び世界を救ったロトの勇者の子孫である王子・王女たちが世界を救うために旅する。前述した統治者の義務と、英雄王の末裔であるという出自、両者がその理由である。ここから貴種流離譚という要素もドラクエに欠かせないものとなった。

 (以下、天空編へ続く)


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